内容
長岡空襲とは
昭和20年(1945年)の8月1日の夜10時半ころから翌2日の午前0時過ぎにかけて、長岡はアメリカの爆撃機B-29による焼夷弾爆撃を受けました。投下された焼夷弾は925トン、16万3千発におよび、長岡の市街地の80パーセントが焼き払われ、1470名をこえる方達が亡くなっています。
このウェブサイトについて
このウェブサイトは、長岡空襲について説明することにより、戦争の悲惨さを伝えたいという気持ちで作りました。アジア太平洋戦争について全く知識がない人にも、全体的なことが分かるように構成したつもりです。
このサイトの作者には、戦争経験はありませんが、他の国の人と憎みあい、殺しあう戦争はまったくごめんです。世の中がそんなふうにならないよう、気をつけると共に、いろんな国の人と心を通い合わせることが大事だと思っています。
とはいえ、インターネットの世界でも、国境の壁・言葉の壁は高く、英語を母語とする人がこのサイトを訪れることはそんなに無いと思いますし、日本の方に英語を読んでいただくことも大変ですから、私なりの日本語解説も作ってみました。よかったらご覧ください。
参考文献
#1:峰村剛編著「長岡空襲 60人の証言」2004.5.1、考古堂
#2:長岡市「長岡の空襲」1988.8.1
#3:新潟県「新潟県史 通史編8 近代三」1988.3.31
#4:早乙女勝元「図説 東京大空襲」2003.8.30 ふくろうの本、河出書房新社
#5:太平洋戦争研究会編著「図説 アメリカ軍の日本焦土作戦」2003.3.30 ふくろうの本、河出書房新社
#6:(社)日本戦災遺族会「平和への想い 2005」(パンフレット)
#7:茶園義男 編・解説「大日本帝国内地俘虜収容所」1986.12.15 不二出版
#8:早乙女勝元「東京大空襲-昭和20年3月10日の記録-」1971 岩波新書 青版775
上記参考文献について、ページ内ではref.#2のように表しました。
更新履歴
2005年7月31日:開設
2006年1月22日:専用ドメイン移行
2008年1月 6日:小改変
2018年1月17日:レスポンシブ化
2022年2月5日:グーグル・アナリティクス設置
2024年8月28日:簡易メンテナンス実施