|
某所に公開した日記です。(2005年2〜8月)
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] 表紙に戻る このページを開設したのが2002年の7月で、それからゆうに丸3年たってようやくカウンターが1000を超えました。 ただし、1000のうち、私が動作確認のために自分で訪れたのが700以上占めていると思います。 すると1年で100人、3日に1人、のように思われますが、最近は6月初めに800、7月初めに900、8月に入って1000と、 私が来たのも含まれていますが、なぜか数字の上がり方が早くなっています。どなたかリンクしてくださったのでしょうか? アクセス数を上げるには、やはりサイト自体が面白くて、ためになる情報があって、しかも新しい情報が見れるだろうと また訪れたくなるような物でなければならないのですが、どうも私のサイトはそうなっていないですね。またハウツー本によると、 サイトの主眼がはっきりわかるように、内容を切り分けろ、とのことですが、サブコンテンツのとおり、ゴタマゼでございます。 じつはこのサイトも内容を切り分けるようにしているのですが、リンクさせてしまった結果、もとの木阿弥です。ただ、メインテーマは これからも島旅でいこうかなと思います。ほかに咆えたいことが沢山あるのですが、それはまた別の場にて。 アクセス数を上げるもうひとつ重要な点として、多くの別のサイトからリンクされること、そして検索エンジンの上位に上がること があります。この2点は密接な関係にあり、グーグルでは他のサイトからリンクされていないと、瞬く間に彼らのインデックスから 消えていきます。グーグルには自分のURLを登録するところがあるのですが、アレは何百回やっても無駄ですね。疲れました。 このサイトに関しては、どこかの地域情報を扱うサイトに一度登録したおかげで、何とかグーグルには引っかかっているようです。 ただ、その地域情報サイトの中で、私のここへ、どうやってたどり着くのか未だにわからないのですが。 もっとアクセスされて、インターネットの世界で活躍するには、ブログの方が良いと思うのですが、私自身インターネットに使える時間も 限られていますし、ここのサイトはこれくらいで良いかな、と思っています。今までに感想のメールを一度だけもらったことがあります。 アメリカのカリフォルニアの、どこかの政府機関のメールアドレスでした。ただそのメールにウイルスがついていて、感染してしまいました。 ご本人には悪意はなかったようですが。またウイルスもパソコンの電源が突然落ちる、というもので、すぐに駆除できました。 それはともかく、今よりアクセスが増えても、ウyoウyo星人から悪意のメールが来たりすると私もへこむでしょうから、今くらいがいいのかなと思います。 てなことで、ここは私の友人とか、私を知る人がたまに訪れてくれればよいので、アクセス数にアクセクすることなく、自分流で作り上げていこうと 思います。ホームページでありがたいのは、文字情報なら、ほぼ無限に書き続けられることです。これからも私が生きている/生きてきた証として、 ちょこちょこ書き足します。はい。(2005年8月20日) 以下はもはや存在しないわたくしのブログに書いたものでございます。 4月18日(日曜日) 何を書こうか 今日は暖かくてとっても良いお天気だった。 さぞかし皆さんお出掛けして楽しんだことであろう。 私は一日部屋にいて休養していた。午前中はホームページの お手入れして昼過ぎは、少し弾き語りの練習をした。 どなたかの弾き語りの下支えをしたい、とはつい先日書いたが、 そんなチャンスは今のところない。だから自分で歌いたくなって しまった。練習したのはキャロル・キングのジャズマン。 弾き語りに適した曲かどうかは知らないが、さわやかな曲だ。 ジャズマン、私のブルースをどこかに吹き飛ばして。 転調ごとに私の悲しみをあなたと同じものにして。 一部和声と低音が不明確なところがあるので、これから 改良しなくては。こんなとき音感のある人がうらやましくなる。 音楽は、諸問題を解決してくれたりはしないけれど、 いつも私の心を支えてくれる。 4月14日(木曜日) 洋食屋さん もう3年近く前になる。 会社の近くのとあるビルの中に入っていた洋食屋さんに よく昼ごはんを食べに行っていた。そこの名物はオムライスで、 とても大きかった。それは見ただけでお腹がいっぱいになって しまうようなものだったので、私はいつも日替わり定食か、 シーフードリゾットというのを食べていた。 私はリゾットなるメニューが、どういう料理を意味しているのか 知らない。しかし、ご飯の上にたっぷりとかけられたアツアツの トマトソースが好きだった。また、シーフードの名に違わず、 魚介が結構入っていた。ちなみに言うと、私はトマトの煮込みが 好きである。理由はよく分からない。 しかしそのお店は、昼休みに行って帰ってこれない距離に、 移転してしまった。マスターに顔を覚えてもらうぐらい 通っていたのに、もうシーフードリゾットを食べられなく なるのは悲しかった。私はその後、この街をいったん離れて、 そして今また戻ってきた。その洋食屋さんがまだ営業して いるのか知らないけれど、まだ頑張って特大のオムライスと シーフードリゾットを作っていることを願っている。 4月13日(水曜日) 物みな輝きを増す春に、 どうして桜は独り、散るのでしょうか。 音楽 私の弾くピアノはあまりにへたくそなので、 もう上達しようという気がうせつつある。始めて もう20年になるのだが、やはり正式に習ったので なければものにならないようである。 できたらバッハでなにか新しい曲にチャレンジしたいが、 いまだに課題曲が決まらない。 そのかわり、エレキベースをボンボコ生音だけで 楽しんでいることが、近頃多い。弾きたい曲は沢山ある のだが、譜面がないので、やはり耳コピーしなければ レパートリーが増えないところが辛いところである。 以前も書いたが、出来ることなら、どなたか女性が ピアノで弾き語りするのをベースで下支えしてみたいと 思う。そうすれば、左手の負担の軽減になって、 歌うのに集中できると思う。そんなチャンスは 現れないかもしれないが、まあ夢見るのは自由だろう。 4月10日(日曜日) 桜とイカナゴ なんだかぼんやりした週末を過ごしてしまった。 ここのところ少し、私は変かもしれない。 昨日土曜日は桜の写真を撮りに有名な公園へ。 しかし思ったより桜はまばらに植えられていて、 満開でもなかった。実際絵になりそうなシーンが なかったので、一枚も写真を撮らなかった。 しかし昨日今日と暖かかったので、今日は家の近くの桜が 早くもはらはらと散り始めていた。来週末まではとても もたないだろうと思い、咲き誇る桜をカメラに収めた。 案外、有名な公園へ行くよりも家の近くの桜の方が綺麗で、 被写体にもなり易いものだと思った。 話は変わるが、私の住んでいる地域で近頃よく耳にする 歌があって、「食べてもいいかないいかな、Go Go!」などと 歌っている。スーパーで例の魚の歌に代わってかけられている。 何の歌なのか分からなかったが、人の話では「いーかなgo」 ということで、イカナゴの歌なんだそうである。なかなか 笑わしてくれるが、その「いいかな、いいかな、GoGo!」の 部分がとっても変なので、私の音楽観からすると許容しがたい 歌である。 4月6日(水曜日) 最近読んだ本を順に。 中公新書482岡田英弘著「倭国」。 留学中に韓国人の友達も出来たことだし、日本と諸外国の 古代における関係が知りたくて読んだ。とはいえ、記録の少ない 古代のことであるから、筆者の書いていることをそのまま信じる 気にもなれない。日本語が渡来中国人によって作られたとするのは 言い過ぎではないだろうか。日本語は、骨格はあったかもしれないが、 言語として不十分だったために、大量の漢語を取り入れることによって、 使えるようにしたというぐらいではないか。 岩波新書912古矢旬著「アメリカ 過去と現在の間」 岩波新書802藤原帰一著「デモクラシーの帝国−アメリカ・戦争・現代世界−」 岩波新書898西崎文子著「アメリカ外交とは何か−歴史の中の自画像−」 これら三冊はいずれも、911後のアメリカの外交は特異なものではなく、 それまでの延長としての行動である、としている点では同じように見えた。 前の2冊が少し、著者の主観、思い込み的な表現が強いような気がしたが、 最後の西崎著は非常にしっかりと歴史を振り返り、骨太の記述を していると思う。 岩波新書938王(木へんに可)著「多民族国家 中国」 筆者の日本語はほぼ完璧。中国政府の小民族政策をおおむね 肯定的に捉えている。もちろん我々が知りえることなど 限られているので、とやかく言うべきのものでもない。 概観を描く良著ではあるが、日本人に興味を持たせて 読ませるにはもう一歩かなと。西部開発を書きつつ、日本の ODAには全く触れてないあたりはおやおやと思った。 (実際、何の貢献もしていないのかもしれないが) アリーマイラブ 何もしなければ、もともと乏しい英語力はさらに衰えるので、 アリーマクビルのDVDを買った。まあお手軽なTVドラマ系が いいかなと思っていたが、Sex and the cityとかフレンズとかは 登場人物を覚えるだけでも大変かなと、安易な判断でアリー マイラブを買った訳である。もちろん最初から字幕なしは諦め、 英語字幕で奮戦。ところどころシチュエーションが読めないところは 日本語字幕に頼ってしまう。何とも情けない話である。 おそらく日本でも放映されていたと思うので、今さら、かとは 思うが、なかなか楽しめると思った。ところどころ出てくる 妄想シーンも笑える。 ところで変な話だが、以前ビバリーヒルズ青春白書だったか、 テレビで見ていたとき、主要登場人物に黒人がいないのが 気になっていた。ERでは、黒人のお医者さんがいたりする。 このアリーマクビルでは主人公のルームメイトとして、 いろいろ助言を与える役割の女性として出てくるのが唯一の 黒人である(今のところ)。これもまた、なんだか屈折した 黒人の登場させ方だと思う。(もちろん難しい問題をはらんで いると思うので、軽々には発言できないですが) じゃず 本屋で、ジャズ入門的な本を手に取った。 筆者は、器楽によるジャズこそが本物であり、ヴォーカルの 入ったものは相手にしない、との考えのようであった。 私自身は女声ヴォーカルのジャズを聴きたいと思っていたので 拍子抜けであった。しかし、その本は面白おかしく書いては いるものの、何とも中身のない、どう考えても千円近くも 出して買うべきものとは、とても思えなかった。 それはさておき、女声ヴォーカルの生演奏が聴ける、 この街の有名なジャズレストランにまだ行っていない。 以前は、通い詰めたというほどではないが数ヶ月に一度くらい、 好きで行っていた。女声ヴォーカルも好きだが、 生のウッドベースの音など、聴くのが心地よかった。 そろそろ足を運んで見たいが、なかなか、一人で行くのは 気が引ける。確かに一人で真面目に聴いている人もいたが。 一緒に連れて行ける後輩もあまりいないのだが、 今度誘ってみようかな、とか思う。何せ私には養う家族も 貢ぐ彼女もいないので、帰りの赤提灯ぐらい、後輩には おごろうと心がけている。 初心者向けの女声ジャズヴォーカルの良いCDって ないでしょうか。 3月21日(月曜日) 「泣いてばかりいたって、幸せは来ないから、重いコート脱いで、出かけませんか?もうすぐ春ですねえ」という歌が、昔、ありました。 鮭のアラ煮 タラで鍋をしたかったのだが、いいのがなかったので、 鮭のアラを大根と煮ることにした。以前圧力鍋を持っていたときに よく作っていたものである。味付けは、みりんとか日本酒とか、 唐辛子少々とか使えば深い味わいになったかもしれないが、 いかんせん、今の私の部屋には醤油と、プレーンヨーグルトに ついてきた砂糖しかない。 ともかく鮭のアラ298円也と大根の輪切りを、醤油と砂糖だけで 煮た。コトコト、三時間ほど。猛烈に生臭いにおいが部屋に 充満したが、まあ我慢。 なかなか圧力鍋でやるようには出来なかったけど、 大根に味もしみこみ、美味しかった。ご飯がすすんだ。 ぴーすおおさか 阪神電車に乗って、大阪へ行ってみた。 行き先は森ノ宮駅から西側にすこし行ったところの、 ぴーすおおさかという、平和のための施設。 250円を払って中に入ると、まず2000ポンド爆弾の 模型2個があった。その模型の足元に、床に埋め込まれた モニターがあって、B29から爆弾をバラバラと落としている 映像が映し出されていた。おそらくそんな映像は、アメリカの ヒストリーチャンネルでも見たような気がする。しかし、 見た瞬間、それとは全く違う意図で映像が流されていることに 気がついた。 さらに大型のスクリーンでも大阪空襲について映し出していた。 まったく、とんでもない規模での破壊である。戦争を起こして しまう国家のエネルギーとは莫大なもので、個々人はどう しようもなく、ただただ巻き込まれて悲惨な状況に置かれて しまうものだと思った。 正直に言うと、そんな時代に生まれなくて良かったと、 展示物を見ながら思った。その時代の人がいかに大変な思いを したのか、考えただけで気が重くなる。しかしその一方で、 戦争の悲惨さがもう遠い昔のことになり、現在の我々からは 理解できなくなっているのではないか、とも思った。 となると、今後何か国際的に気に入らないことがあったときに、 「少しくらい戦争したっていいじゃないか」とかいう風潮が 出てきそうで、それは恐ろしいことである。 3月12日(土曜日) 人が、なすべき善を知りながら行わなければ、 それは彼にとって罪である。 ...ヤコブの手紙より 鍋買っちゃった。 訳あって、鍋を買ってしまった。電気で沸かす「鍋」用の鍋である。 最初はIHにしようかと考えたが、どうも使える鍋が限られるらしい。 それなら最初からコンロと鍋がセットになったものの方が熱効率とか 良さそうに見えた。 売り場にはいろいろなメーカーの、安いのから高いのまでいろいろ あった。しかしサ○ヨーのチタンコーティングの鍋が良さそうに見えた。 サ○ヨーの商品には、一人暮らし用の1.8リットルの鍋のものと、 本格的な鍋用の4.3リットルの鍋のものがあって、どちらにするか、 ゆうに30分以上悩んでしまった。結局大は小を兼ねるで大きい方を購入。 電気で本当に湯が沸くのか、実は半信半疑だったが、 スイッチを入れたらぶくぶく沸いたので、感動してしまった。 近くのスーパーには良い魚がなかったので、豚バラスライスを 170gと、ネギ・白菜・お豆腐を使ってキムチ鍋にした。 自分で言うのもなんだが、旨かった。 一人で満腹になった。 3月6日(日曜日) おそらく、駄文2 昨日は山だったから、今日くらいは部屋でゆっくり休もうと 思っていたが、どうにもこうにも、自室にいると気が滅入って しまう。かといって出掛けてばかりでは、家事が出来ない。 今日もまたユニットバスの掃除。洗濯もした。革靴も磨いた。 こうした日々の営みは、生きている限り、終わりはない。 延々たる繰り返しである。投げ出したくてもそれは出来ない。 なんてこった、と思う。 一日中部屋にいては本当に気が滅入りそうだったから、 夕方出掛けた。スーパーでサラダと、カレイの唐揚げを買って 夕食とした。 おそらく、駄文1 昨日は、久しぶりに六甲に行った。天気予報が雪だ雪だと 脅かすものだから、山でなくプールに行こうかと思ったりもした。 それに私はアイゼンを持っていないから、雪があったりすると、 へっぴり腰で、怪しい歩き方になってしまう。他のハイカーが アイゼンつけてスタスタ歩いている中でそれは、みっともない。 しかし寒ければ寒いほど、樹氷もどきが見れる可能性も 大きいのである。てなことで、阪急御影を9時半ごろスタート。 先日少し歩いた住吉川沿いの道を、徹底的に全部歩いて最高峰に 行くことにした。割と大きな沢だから、それに沿う道もずっと なだらかな上りが続き、最初は楽だった。尾根道ならばよくある、 理不尽なアップダウンはあまりなかった。 最期の方で、七曲り道からようやく上りがきつくなった。 その道の後半では大きなリュックを担いだ人の後をつけるような 形になった。ただ追い越す元気もなかったので、ずっと後ろ 数メートルをつけるような形になった。最後、稜線上の茶屋に 着いたところで抜いたが、おっさん、あんたの勝ちだよ、と 思った。何せ軽装の私に比べて荷物がでかいから。 最高峰上では、雪が少し積もっていた。写真を撮っていると 靴に雪が入りそうになったので、何と12年ぶりにスパッツを つけてみた。パンを2個、寒い中で食べてから、有馬側に下りた。 上りであったおっさんによれば、有馬側は雪が相当あるとの ことで、わさわさラッセルして下りてやるー!と意気込んだ。 ところが積雪はそんなになく、拍子抜けだった。スパッツつけて いるのなんて私だけだった。 14時半に神鉄有馬温泉駅に到着。いつものとおり、帰りの 電車の中でうとうとした。 2月25日(金曜日) ひさしぶり記入 しばらく日記を書かずにいてしまった。 先週末は雨だったので山へは行かず、土曜日の午前中は スポーツクラブのプールへ泳ぎに行った。予想通りと いえばそうだが、オバちゃんが沢山きていた。 終わってロッカー室で着替えていたら、どこかのじいさんが こっそりとウイスキーのビンを取り出して、飲んでいた。 ああいうのは、きっと、ずっとアルコールをロードして おかないと辛い状態になってしまうのだろう。 もちろんスポーツクラブで飲むなんてのは良くない事だが、 私が責めることも出来ない。自分が将来そうならないとも いえないし。 土曜の残りと日曜は、自分のサイトの大改修作業。 しかしウェブ上に出せるのはいつのことになるやら。 といいつつ今週末が始まりかけているが、 ちょっとお出掛けなので、また六甲に行けない。 2月11日(金曜日) そしてまた山 なるべく行ったことのないルートを登ろうと思うのだが、だんだん それが難しくなってきた。昨晩の予定では芦屋から鷲尾山、荒地山を 登るつもりにしていたが、今朝電車の中で、地形図を見ていたら、 既に行っていたことが判明した。そこで絶対行っていないと思われる、 阪急岡本から八幡谷を登った。駅を9:00過ぎに出発。 打越峠を越えて最高峰への住吉谷に出るつもりだったが、標識で 打越山、と出ていたので、ついつい煙となんとかは高い所が好き、 とばかりに行ってみたら道は荒れているし、分かれ道は沢山あるわで 大変だった。打越山を過ぎてから峠に向かうつもりが踏跡の無い 所に迷い込み、もういっぺん打越山に引き返したりもした。 住吉谷は、六甲の沢としては大きいほうだと思う。沿って少し歩いて から、西お多福山への道を登った。400mの登りだったが、さほどな 急登ではなかった。しかし疲れたのでうっかり西お多福山のピークを 探すのを忘れた。六甲最高峰には12:20着。頂上でパンを2個食べた。 下りが問題であった。足を痛めたくないのでバスに乗るつもりだった。 東お多福山バス停に下りるのに、石の宝殿から蛇谷北山に下りること にして、宝殿へ。ご縁が出来てニコッとするかな、と5円玉を2個 宝殿に奉納。いや、バス代のため10円玉を使いたくなかったのが実際。 バスでお札を両替するのは、バスの発車を遅らせそうで気が引ける。 下に続きます。 ところが石の宝殿からの下り道が幾つかあって、どれが正しいのか 分からない。前方に蛇谷北山が見えるから、それと一つの道に上級者用、 と札があったので、ある道を選んで下り始めた。最初は赤テープが あって、踏跡もあった。しかし急斜面を降下しているうちにテープは なくなり、尾根であるべきところが、どんどん谷に落ちている。 ついに本日二度目の踏跡消滅!恐怖。 再び石の宝殿に登ると、一人のオバちゃんがお堂でお昼を取っていた ので尋ねてみた。オバちゃんによると、私が下りたところは正しくなく、 宝殿の少し手前で、別に降りる道があるという。オバちゃんもそこから 蛇谷北山に下りるという。行ってみると、熊笹に囲まれながらも、 しっかり踏跡のある、ちゃんとした道だった。以前登りに通ったことが あるのだが、宝殿への取り付きがどうなっているかなんてすっかり忘れ ていた。尾根道から振り返って私が下りた所を見ると、とんでもない 谷だということが分かった。あのまま下りていたら、今頃どうなって いたやら。オバちゃんに感謝、感謝、である。 無理せずバス停に下りるつもりだったが、東お多福山に登ってみた。 西お多福のピークを踏んでいれば、東西オタフク制覇だったのだが...。 頂上の笹原から見下ろす大阪湾と街は、とてもよい眺めだった。 東お多福山はバス停にも近いし、眺めは良いし、ちょいと六甲気分に なるには最適だと思う。頂上直下で大学生くらいの女の子の集団に 出会った。疲れて登れなくなっていたらしい。素晴らしい眺望が あと少しなのに、登れただろうか?バス停に14:10頃着、阪急芦屋川 には15:00頃着。 本日の反省は言うまでもなく間違った谷に下りてしまったこと。 札に本谷と書いてあったのと地図を照らし合わせれば、防げたこと だった。 2月6日(日曜日) 日曜日 今日は床屋に行って、戻ってきてからはユニットバスを掃除して、 さらに革靴を磨いた。なんてことはない、ごく普通の日曜日だった。 そして午後、ちょっとばかりエレキベースの練習をした。 エレキベースというと、思い出す人がある。その人とは学生時代に 出会った。絶対音感を持ち、リズムは正確無比、演奏で間違えることが 皆無の、素晴らしいベーシストだった。 今でも思い出すが、冬の寒い日のステージで、その人がベースを −−−いうまでもなく低音楽器だが−−− ハイポジションで歌わせたとき、女の子がその人の名を呼びながら 狂乱していた。 私がベースを始めたのも、その人の影響があったからだ。 就職してからも、その人とは時々会っていたが、しかし、ある日から ぷっつりと連絡が途絶えてしまった。なぜ連絡がつかなくなったのか、 私は知らない。 こんなところで呼びかけても無駄かもしれないが... 「○さん!○さんがピアノを弾いて、私がベースを弾くという、 ジャズセッションの約束は、どうなったのですか? 私は今でも○さんとアンサンブルしたい、と思っているのです。」 2月4日(土曜日) 先週は所要で六甲には行けなかった。 どのコースを行くか、さんざん悩んだ末、今週末は有馬三山を縦走した。 以前有馬温泉に下ったことがあるが、枝道がやたら多くて、正しい道を 探し当てるのに苦労した思い出がある。今回は登りなら、さほど道に 迷わないかなと思った。 神鉄の有馬駅には10時20分に着。観光案内所の裏から登り始める。 533mの妙見寺まではコンクリートの参道で山登りの感じはない。 その寺を過ぎると、突然妙な分かれ道が出現して困った。登りは 迷わないと思ったのだが、某ホテルが変な「トレッキングコース」を 勝手に作ってしまったため、次の灰方山への道が分かりづらかった。 灰方山の後ろで少し下って、そこから湯槽谷山まで250m一本調子の登り。 登り応えがあった。しかし尾根道を歩く気分の良さといったら。 湯槽谷山は11時50分に通過。六甲山メインルートの極楽茶屋跡に 着いたのが12時50分。お昼を取っている人が多かったが、発泡酒を 飲んでる人がいた。山下りてからにすればいいのに。 ひざを痛めないために、下りはケーブルカーに乗るつもりにしていたが、 私に道を聞いてきた夫婦連れが石切道を下って阪急御影に下りると いうのを聞いて、自力で下りたくなった。下ったのは天狗岩南尾根。 先日の山寺尾根ほど急ではなく、ひざはそんなに痛めなかった。 何か大きな岩があるのかなと思ったが、天狗岩というところに、 大した岩はなかった。バス停に下り着いたのが14時30分。 本日の反省は歩行距離、特に車道歩きが長すぎたこと。 あと昼ごはんの代わりにカ○リーメ○トを歩きながら食べたが、 お腹が減ってしまった。パンか何かお昼として持参すべきだった。 1月29日(土曜日) 住んでいる所 以前住んでいたところは、わりと高級なところで、 「この家は、この家の人の労働の正当な対価として得られた収入で 建てられたのか?」と疑いたくなるような立派な家が多くて、 私のような庶民には違和感があった。しかしそれ以外に、 周囲には何もなかった。 今度移ってきたところは結構庶民的である。家の周りに商店が たくさんあって、便利だ。商店の一つに、小さな小さな生花店がある。 たぶん店の収入だけではとても暮らしていけないと思われるほどの 小さなお店だが、先日、その店先にランが置いてあった。 ノビル系デンドロビウムの赤いランだった。 以前、この種類のランの栽培にハマッていた。 ランの中では寒さに強く、丈夫で育てやすい品種だ。 また私はその自然な姿が好きだ。 どうも他のランはグロテスクに見えてしまう。 今はそのランが出回る季節である。正直なところ、買いたい。 でも買い始めたら、またベランダがランおよびその他の植物で 埋まってしまいそうな気がする。 ランに限らないが、花は美しいと思う。 私の後半生、美しいものに囲まれて生きてゆきたい。 1月23日(日) 既視感以上 Kの街に帰ってきて、はやくも2週間が経った。 戻ってきてすぐ、同じ市内だが引越しをした。 そしてまた独りの、静かな暮らしが始まった。 住む所は多少違うものの、私の目には全ての物が、前と同じに見える。 あまりにも見慣れた風景の中で、また同じことを始めるので、 この1年半経験したことが、まるで短い夢か幻のように感じられる。 「あれは私にとって何だったんだろう」などと疑問に思いはじめている。 私はいまだにこの窮屈な街が嫌いだ。 最初に越してきたときから、間は多少抜けるが、 8年くらい経ってしまった。 この街に良い所があるとしたら、それは何だろうか? きっとそれは、「物」としては無い。 もし、この街で素晴らしい人に出会えたら、 私の中のこの街の評価が変わるのだ。 六甲山行 引越ししてすぐ風邪をひいたため、しばらくおとなしくしていた。 しかし部屋で独りでウジウジしていてもしょうがないので、 風邪は抜け切っていないが、昨日、六甲に出かけた。 六甲は本当に久しぶりだ。しかし再開にあたって菊水山鍋蓋山では あまりにありきたりだし、金曜日雪が降っていたので最高峰まで 行くのは大変な感じがした。そしたら、摩耶山である。 既に天狗道、黒岩尾根は登っているので、今回はトウェンティクロスで ぐるっと後ろに回って桜谷道で登った。9時過ぎに新神戸をスタート。 布引の谷は通行止め、とのことで、ハーブ園行きの舗装道を歩く。 市が平からはほとんど川沿いの道を行く。所々岩伝いに川を渡った。 川、と呼ぶより清流と書きたいところだが、水は澄んでいても 川底は結構汚い。桜谷道に入ると順調に高度を稼いで12時過ぎに 摩耶山上に到着。広場では子供の集団がいた。バスで来たのか ロープウェイで来たのか、まさか歩いて登ってきたのではないだろう。 下りは初めての山寺尾根。かなりの急降下で、こんな道を登りに 歩かなくてよかったと思うほど。途中で3人の登りの人に会ったが、 いづれも苦しそうだった。 13時半阪急六甲に到着。今回の反省は前半体力保持のため ゆっくり歩きすぎたこと。あと時計を持っていなかったので コースタイムの記録が取れなかったこと。 さて来週はどのルートを登ろうか。
|
|
[HOME]
[サイトマップ]
[日本語トップ]
[島旅]
[日本ガイド]
[日本語教材]
[日記・掲示板]
[読書録]
[英語の長岡リンク]
[日本語リンク集]
|