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最後の日 2004/12/18 09:08 (Sat) 今日をもってして最後、と言ってもいいだろう。 10時にレジデンスアシスタントの女性が来て、寮をチェックアウトした。 その後はオフィスで荷物をスーツケースに詰めながら後片付け。 いらないものは隣の台湾人にぽんぽんあげた。 コーヒー、紅茶、洗剤、コップ、水汲み容器、などなど。 ひと段落着いたところで図書館に行き、 とある日本にかかわる本を一冊コピー。 併設のカフェでサンドイッチを食べ昼食とする。 午後遅かったのでサンドイッチ残っているかな、と思ったが、 私の一番好きなベジタリアンサンドが一個、残っていた。 スモールカップのコーヒーとともに賞味。 赤や黄のパプリカが厚切りで入っていて食べ応え十分。 このカフェを利用するのもこれが最後。 帰りにジムへ寄って、運動はせず、シャワーを浴びた。 もう寮に戻れないから。 さてこれから日本語チューターの慰労会に出掛けなくてはならない。 最後の最後までせわしいことである。 イルミネーション 2004/12/18 09:05 (Sat) 水曜日、近郊の少し大きな町へ行って、イルミネーションを見てきた。 連れて行ってくれたのは、日本語チューターの元締めの男性。 確かに電飾はきれいだった。暗闇に炎のごとく。 色は緑や紫まであった。 ただ、行く前に考えていたのと違った展開になってしまった...orz クリスマスコンサートの合唱なども聴いてきた。 意外に上手くて堪能した。観客を楽しませるためにちょっとした パフォーマンスを取り入れるなどはさすがだ。 それとピアノがスタインウェイで音が良かった。 寮の調子っぱずれのYとは鳴りが違った。 そのあとで、その町でお寿司をたらふく食べた。 値段も結構したが、アメリカであれだけ食べられるのなら 文句なしか。 この数日3 2004/12/15 17:04 (Wed) 今日火曜日は、船便の発送をした。郵便局までは 中国人のQ氏が連れて行ってくれた。ダンボール7箱で283ドル也。 ちょうどお昼時だったので、お礼として昼飯おごるよ、と言ったが、 彼は断った。持ち帰りテストの提出が明日だそうである。 去年私がやった課題の数字が少し変えられて出されているので、 私のレポートが役立つと言っていた。 午後は疲れ果ててしまった。夕方から10時くらいまでかかって コンピュータ内のファイルを保存削除した。 これを書いている間、FMがラベルの"クープランの墓"をやっていた。 わたしの好きなピアノ曲の一つであるが、演奏は乱暴で、妙にペダルが浅い、 変な演奏だった。 でもこうやってクラシックの曲でもFMでかけてくれるのでありがたいと思う。 日本では、民放FMは決してクラシックをかけないだろうし、 最近はNHK・FMでもクラシックは全滅に近いのではないか。 どの放送聴いても同じような曲ばかりかけて、 個性がないようだったら聴く気がしない。 私の音楽的嗜好は、日本人としては少数派に属する。 だから結局、日本にいたらFMなんて聴かない。 こちらの放送局のように、ジャンルごとに放送局があればよいのだが。 ことは音楽に限らず、個性や多様性が受け入れられる 世の中の方が、よいと思う。 この数日2 2004/12/15 17:02 (Wed) 13日月曜日は、少し小さめのスーツケースを購入。 今ある大きいのの補助として使うつもりなので、安いのでいいかなと 思って、最初ウォルマートに行って見た。確かに安いのがあった。 もちろん中国製。19ドルで、スーツケースの中にさらにバッグと ポーチが入っていた。しかし表面の材質はこんなのありか?と 思うようなひどいもので、家に持って帰るまでの間に壊れちゃうん じゃないか、というような代物だった。 だからまたモールに行って、ちゃんとしたのを買った。 そこでもまた5年保障の安いのと15年保障の高いの どちらにするか悩んだが、堅牢さ、デザイン、機能などを考えて、 やはり高い方を買ってしまった。 12日日曜日は、研究室でコンピュータのファイル整理。 11日土曜日は、最後の中国語個人レッスンだった。 実はあまり予習していなかった。それと、期末試験の直前だった せいもあり、図書館の予約を取れなかった。前日取るのを忘れて 土曜日の朝行って見たらもう全室びっしり予約が入っていた。 だから、図書館併設のカフェへ行って、ソーダを飲みながら、 最後のレッスンをした。彼は記念にと、西安のお土産を私に くれた。本日(火曜日)の船便に入れてしまったので、 確認できないが、西安の秦の始皇帝稜の図柄の栓抜き。 彼は中国人学生組織のプレジデントで忙しいにも係わらず、 そして月謝も少ないのによく教えてくれた。感謝感謝、である。 この数日1 2004/12/15 16:59 (Wed) 10日金曜日は寮で最後のランチボックス作りをした。 この期に及んで肉を料理するのは面倒なのでやめた。 今回は初めて、紫キャベツを買ってみた。 値段が普通のキャベツと同じだったのでついつい選んでしまった。 紫キャベツはサラダの彩りとして生で食するのが普通と思われるが、 一玉買ったので、容量圧縮のため?煮てみた。 すると、煮汁が驚くほどドス紫になってしまった。 確か着色料として「赤キャベツ色素」という表記が 日本の食品にあったようなような気がするが、 なるほど、と思わせるような色だった。 9日木曜日は午後、街のモールへ行って、革のジャケット買って しまった。前々から本物の革のが欲しかった。日本で買うより 安いかな、と思ってこの時期に購入を思い立った次第。 売り場ではほとんどが黒のものばかりで、私が欲しかった ブラウンのものは少なかった。なぜ茶色が少なくて黒が多いのかと 店員に聞いてみたら、単純に黒が売れるから、とのこと。 ブラウンのジャケットタイプで200ドルのものと、 黒のハーフコートタイプで250ドルのものをどちらにするか、 さんざん迷ったが、初志貫徹でブラウンのを購入。 実は全部中国製だったので、もしかしたら日本で買ったほうが サイズとか合うのがあったかも知れない。 でもなかなか暖かくて、快適である。 ひとつの終り 2004/12/09 15:16 (Thu) 修士論文に大学院長のサインがついて、昨日戻ってきた。 今日はそれを学生センターのコピー屋で5部焼いて、 みぞれの中、図書館まで持っていった。5部の製本と、 なんだかよくわからない機関に登録する費用を 合わせて120ドル。 あとは本の体裁になったものを取りに行く必要があるが、 基本的にはもう終わってしまった。 日本で言えば、この歳で修士もないだろうが、学部を 卒業して10年後にやっと取ったといえば感慨もある。 午後また中国語レッスン。今使っているテキストは 練習問題が山のようにあって、予習しきれない。 夕方からオフィスの片付け。船便用にダンボール箱に 詰める作業開始。 夜FMでラフマニノフのピアノ協奏曲1番なんて珍しいものを やっていたけれど、なんだかむしょうにスクリアビンの ピアノ協奏曲が聴きたくなった。 二週間を切った 2004/12/07 06:52 (Tue) 楽しかった留学も、そろそろおしまい。 こんな良い所を離れなければならないなんて、辛い。 自分の部屋のように使ってきたオフィスも片付けて、 船便で発送しなければ。 金曜日はチューターのあと、中国語の個人レッスン。 しかし夕方のお茶会と夜の中国語の映画会がともになかったので、 寂しい金曜日になってしまった。仕方ないのでジムで 筋力トレーニングにいそしむ。おかげで月曜日の今も少し筋肉痛が残る。 土曜日はジャケットでも買おうかなと街に出てみたが、いいのがなく、 結局いつものスーパーでリンゴとオレンジを買って帰った。 夜は自分の英語のサイトにこの大学の写真を20枚くらい貼り付けた。 このサイトはまだグーグルがクロールに来ていないので、 外部からは検索不可能である。 日曜日は一日中オフィスにいて今後のことを考えていた。 もっと外に出て、人と話さなければ。 異文化への興味1 2004/12/07 06:50 (Tue) 金曜日、最後の日本語チューターだった。 結局今学期数回教えただけだったが、良い経験になった。 しばらくして、一人の白人の女の子が来た。 練習は、 形容詞を述語にした文を、形容詞で修飾された名詞を述語にした文へ 書き換えるというものだった。しかし、その子はこの学期末において、 ひらがなをまともに覚えておらず、漢字においては全く読めない有様だった。 だから、私はひと通り説明した後、 「私のあとについて発音してみて」 と言った。そしたら、その子が言うのに、 「日本語なんて来学期は取るつもりはないのだから、 私はそんなことに時間をつぶしたくない」 コケました。 ただ私は自分のコミュニケーション能力の低さにがっかりした。 その子が日本語に興味がないということを、そこまでの態度から 気づくべきだったのだ。私の態度はその子にとって、 ずいぶんと偉そうな、押し付けがましいものだったであろう。 しかしおかげで週末の始まりの朝において、 気分がへこんでしまった。 異文化への興味2 2004/12/07 06:45 (Tue) その子が帰ったあと、誰もいなくなったので、気落ち しながらも中国語の練習問題をノートに書き付けていたところ、 2人の白人の女性が来た。 一人は日系ハーフがご主人だそうである。 で、もう一人が言うのに、 「中国語のクラスを取ってるの?私も取っている。」 いや、これは個人的に勉強しているだけなんだ、と言いつつ チューターを始めると、意外とその子は日本語が上手かった。 形容詞と形容動詞の区別がまだよく出来ないようだったが、 「とても」を使った文の否定文が「あまり」を使うという点を よく理解していた。 終わったあとで、その子がアジアの歴史の教科書を 取り出して勉強を始めようとしたので、思わず聞いてみた。 「日本語と中国語と、アジアの歴史を学んでるようだけど、 なんでそんなに興味があるんだい?」 すると 「アジアはとても長い歴史を持っているから。 そんなことは中学・高校では習わない。」 うーん、なかなか関心してしまった。 一人一人性格が違うのは当たり前だけど、 最初に来た子とは偉い違いだなと思った。 残るは三週間 2004/11/30 02:23 (Tue) 誕生日になると、ハンバーグかタワシが発火する 仕掛けになっているのですね?去年は忙しくて気がつかなかった。 これはバースデーケーキのロウソクに火がともったのを意図して いるのだろうが、私にはハンバーグかタワシに見えてしまった。 サンクスギビングも終わってしまった。一月もすればクリスマスだ。 日本人が正月を祝うように、中国人が春節を祝うように、季節の節目を 家族で祝うというのは、世界のどこであれ大事な事なんだろうと思う。 今日は月曜日。残る3週間で修士論文を印刷にもって行きたい。 英語をなるべくたくさん読みたい。中国語の個人レッスンも頑張る。 そして、寒くなってきたが、泳ぐ。 鍋! 2004/11/30 02:19 (Tue) 土曜日は、韓国人に鍋を作って食わせてやった。 具材はタラ、エビ、ホタテ。最初に行ったスーパーではタラが売ってなくて 別のスーパーまで雪の中移動した。タラは1ポンド6.99$と表示されていたが、 お店の人が1ポンド3.99$に値引きしてくれた。700gほど購入。 野菜は欠かせない白菜とネギ。モヤシが売っていたので割高ながら購入。 セリを2把買ったのはちょっと失敗、臭みが強すぎた。 タレはどうすればよいか分からなかった。手に入るものも限られているので、 おしょうゆと酢を半々かおしょうゆを多めにして、ネギと生姜のみじん切りを 混ぜ込んだ。 4人の韓国人と私で食べたが、多量の野菜もなんとか全部食べてしまった。 最後にうどんを入れたいところだったが、手に入らず、細い米の麺を 残り汁で煮た。これが汁とよく絡まって美味しい仕上げとなった。 みんな満腹になったようだ。でも野菜がほとんどだから、そんなに モタレはしなかっただろう。 教会での映写会 2004/11/28 03:36 (Sun) 昨日は下に出てきたQ氏がカソリック教会に連れて 行ってくれた。簡単な夕食の後、映画。 最近映画のタイトルを憶えるのが面倒なので忘れたが、 キリストの最期の12時間を描いた、確か去年あたり 物議をかもした作品。 残虐な鞭打ちシーンが延々と続くのには閉口したが、 なかなか感動的な映画であった。ところどころ聖書の エピソードと違うところがあったようだが、 まあ許容範囲内だろう。逆に聖書を知っていないと どのくらい意味不明になるのだろうか。 帰りは余ったターキーとオレンジをもらって 寮まで送ってもらった。Q氏のニッサンがエンジン スタートせず、寒い中往生した。 寮でQ氏からもらった英語の聖書を読もうとした。 マルコの福音書がシンプルで短いから、と読み始めたが、 2ページの中ほどで夢の中へ。 休日終わりそう 2004/11/28 03:35 (Sun) サンクスギビングの休日、水曜日は予定なしだったが、 木曜日は台湾人のパーティーに紛れ込み、昨日は中国人の カソリック教会での映画に行った。今日土曜日は韓国人に 鍋を作って食べさせる予定。 水曜日は友人がターキーを10kg近く料理して12人の 台湾人と私ともう一人のアメリカ人に振舞った。 しかし彼の彼女の作った水餃子の方が人気があった。 彼は 「ターキー・イズ・アピタイザー!」 「ターキー・イズ・メイン・ディッシュ!」 「ターキー・イズ・デザート!」 と叫んでいたが、大量に余ってしまった。 実はあまり会話が成り立たなかったのだが、彼らの 台湾語を少しでも聞き取れるよう耳をそばだてていた。 日本のTRICKとかいうDVDが終わったらお開き。 誰もいない寮に戻ってテレビを見た。 11月24日 水曜日 休日始まる 今日からサンクスギビングの休日である。 学内のいくつかの施設は今日まで開いているが、早めに閉まり、 明日からは人気のない静かな状態になるであろう。 ここ2・3日の記録、日曜日は洗濯した後、カメラを持って 学内の写真を撮ろうと歩き回った。そのあとは図書館、自室に 戻ってからは自分のウェブサイトの大改修作業。 月曜日は朝から卒業の届出でばたばた。大学院に行って用紙を もらい、学生センターで卒業の費用を払い込み、そのレシートと 用紙を届けにまた大学院に。でもなんとか11:30のプールには 間に合った。しかし、チェックでまわした私の論文がまだ 大学院から戻ってきていないので、本当に今学期で終わるか どうかは未だ確定的ではない。終わらなければ、3単位分の 授業料を春学期に払わなければならない。 午後は中国語の個人レッスンの準備、しかし途中で昼寝した。 夕方サンクスギビングのパーティー用のジュースを街で購入。 夜は引き続きサイトの改修作業。 火曜日はまた水泳。午後はこれまた韓国料理。メウンタンの 魚が淡水魚なのか生臭いのが玉にキズだが、これはこれで 美味しいと思う。今回行ったのはその店がサムゲタンを始めた、 というので行ってみたものである。しかし肝心の鶏の内部の もち米が冷たかったので、もう一度煮てもらった。 そこはちょっと減点。 タラフク食べたので腹を減らそうと夕方ジムで筋力トレーニング。 しかしアメリカ人は力があるな、と思う。 重りの重量が私の三倍くらいになっている。時には私の体重より 重くセットしてあることがあり、ぶら下がったり出来る。。 夜は中国語の個人レッスン。終わったら早めに寮に帰った。 中国人の祖父 月曜日、一刻も早く卒業カードを書いて提出しようと あせっていたときに、中国人のQ氏が私のオフィスを訪れた。 Q氏の祖父は日本軍のために亡くなったとの事で、前々から 気になっていたが、思い切って状況を尋ねてみた。 それは彼の父がまだ12歳のときだったので、父親はあまり 詳しく憶えていないそうだ。また祖母は話したがらないので、 Q氏も詳しくは知らないのだが、と言いつつ教えてくれた。 その当時、彼の一族の住んでいた山東半島は とても貧しかったので、彼の祖父は、今の北朝鮮に あたる所へ出かけて行って、農地を拓いた。 しかしそこへ日本軍が来て、せっかく作った農作物を 供出せよと命じたそうだ。彼の祖父はそれを拒否したため、 投獄され、仲間の中国人が金銭的な援助をしたものの、 獄死してしまった。遺骸は故郷の山東半島に戻ることなく、 北朝鮮に近い、対岸の遼東半島の大連に葬られたそうである。 おそらく、こうした個人の悲劇は、数え切れないくらい 起こっていたのであろう。しかしそれから何十年も経って しまった今、こうした個人の悲劇に無意識なまま歴史が 語られたりする。私は、それではまずいと思う。 人はみな、一人一人が個人の歴史や感情を持って 生きているのだから、歴史の中で個人がどのように 苦しんだのか、悲劇を味わったのかについて、 心によく留めておく必要があると思う。
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