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新潟と戦争
にいがたとせんそう Niigata and War |
人間の最悪の行為、戦争で、多くの方が傷つき、亡くなりました。 そうしたことが二度と起こらないようにとの願いをこめて、このページを作りました。 内容は、本サイト管理者の独断により選ばれています。 |
建設的なご意見のみ賜ります。
最終更新日2008年10月26日 |
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昭和20年5月5日:
May 5th, 1945
直江津空襲(なおえつくうしゅう) 午前11時過ぎ、アメリカの爆撃機B-29により50キロ爆弾が投下された。 目標は信越化学直江津工場であったが、黒井駅近くに落下した爆弾により、 3名が死亡した。 (詳しくはこちらをご覧ください:工事中) |
参考文献
(1) 上越市史 通史編5近代、644頁、2004.3.31 |
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昭和20年7月20日:
July 20th, 1945
長岡市左近町に模擬原子爆弾投下(ながおかしさこんちょうにもぎげんしばくだんとうか) 午前8時過ぎ、アメリカの爆撃機B-29が1機飛来し、 長崎に落とされたのとほぼ同じ形状の模擬爆弾を投下した。 当時上組村大字左近に着弾し、4名が死亡した。 県内ではこのほかにも、7月26日に刈羽郡西中通村(現 柏崎市長崎)、 鹿瀬町丈山(現 阿賀町)にも模擬原子爆弾(パンプキン爆弾)が投下されており、 前者では2名が死亡した。 (詳しくはこちらをご覧ください:工事中) |
参考文献
(1) 左近の爆弾−長岡に投下された模擬原子爆弾−、模擬原子爆弾投下地点の碑建立委員会、2008.4.18 |
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昭和20年7月20日:
July 20th, 1945
爆撃機B29を1機撃墜(ばくげききびーにじゅうくをいっきげきつい) 新潟港に機雷を投下しに来たアメリカの爆撃機B-29五機に対して高射砲で応戦、そのうち1機を撃墜した。 午後9時頃、京ヶ瀬村の京ヶ島に墜落し、乗員4名が死亡。 (詳しくはこちらをご覧ください:工事中) |
参考文献
(1) 新潟県史 通史編8、862頁、1988.3.31 (2) 水原町編年史 第四巻、676〜679頁、1984.1.20 |
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昭和20年8月1日:
August 1st, 1945
長岡空襲(ながおかくうしゅう) 夜10時半ころから翌2日の午前0時過ぎにかけて、アメリカの爆撃機B-29が長岡を焼夷弾で爆撃。 投下された焼夷弾は925トン、16万3千発におよび、長岡の市街地の80パーセントが焼き払われ、 1470名をこえる方達が亡くなった。 (詳しくはこちらをご覧ください) |
参考文献
(1) 峰村剛編著「長岡空襲 60人の証言」2004.5.1、考古堂 (2) 長岡市「長岡の空襲」1988.8.1 |
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昭和20年8月10日:
August 10th, 1945
新潟に艦載機の攻撃(にいがたにかんさいきのこうげき) 金華山沖のアメリカの航空母艦ヨークタウンから発進した艦載機グラマンF6F16機が、 午前11時45分ごろ新潟に到達し、市内各地でロケット弾を発射したり、 機銃掃射したりして大きな被害を引き起こした。 新潟港に入港するところだった佐渡汽船のおけさ丸も攻撃され、乗客14人と船員1人が死亡した。 (詳しくはこちらをご覧ください:工事中) |
参考文献
(1) 新潟市史 通史編4近代(下)454〜455頁、1997.3.31 |
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昭和20年8月15日:
August 15th, 1945
昭和天皇による玉音放送(しょうわてんのうによるぎょくおんほうそう) 正午に昭和天皇による終戦の詔書の音読がラジオ放送された。 日中戦争および太平洋戦争という日本の昭和の戦争が、敗北に終わった。 新潟県の軍人・軍属の死者は、文献(1)によれば、7万3000余名に上った。 県内では、このほかにも空襲や機雷による死者や、捕虜や強制連行された外国人の死者も発生している。 (詳しくはこちらをご覧ください:工事中) |
参考文献
(1) 新潟県史 通史編9、9〜10頁、1988.3.31 なお、7万3000余名の死者数は、新潟県民生部援護課「新潟県終戦処理の記録」に拠るとしている。 |
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昭和24年3月30日:
March 30th, 1949
名立機雷事故(なだちきらいじこ) 西頚城郡名立町の小泊突堤付近に機雷が漂着、駐在所の巡査が沖に流そうとしたところ爆発した。 死者は63名にのぼり、犠牲者のほとんどが巡査の作業を見ていた子供だった。 (詳しくはこちらをご覧ください:工事中) |
参考文献
(1) 「新潟県の昭和史」Niigata Chronicle1926-1989、新潟日報事業社、293頁、 |
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昭和47年5月26日:
May 26th, 1972
海麟丸爆発事故(かいりんまるばくはつじこ) 新潟西港でしゅんせつ作業を行なっていた第一港湾の海麟丸(2,412総トン)が、 戦争中に投下された機雷に触れた。この爆発により2名が死亡、37名が重軽傷を負った。 新潟港は昭和27年1月に「航路安全」の告示を受けたが、敗戦から27年経っての爆発であった。 (詳しくはこちらをご覧ください:工事中) |
参考文献
(1) 「新潟県の昭和史」Niigata Chronicle1926-1989、新潟日報事業社、589頁、 |
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